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国内に息づくル・コルビュジエの遺伝子

20世紀最大の建築家として名を馳せるル・コルビュジエ。2016年には彼の作品群が世界遺産にも登録され逝去後も未だに近代建築への甚大な影響を与え続けている人物ですが、彼の建築は日本にあるコルビュジエ建築は上野の「国立西洋美術館」一棟のみ。

その他のコルビュジエ建築を堪能したければ、一番近くてもインドまで足を伸ばさなければなりません。

それでも、建築ファンであればもっとコルビュジエの建築哲学、スピリットを直に見たい!と切望している人も多いことでしょう。

今回は、日本国内で楽しむ方法をご紹介します。

コルビュジエの独特な師弟制度

コルビュジエ建築は日本に一棟だけとはいえ、その精神を直に受け継いだコルビュジエの愛弟子たちの建築は日本国内にいくつも存在しています。

コルビュジエという人物はやや偏屈な部分も持ち合わせていた反面、彼から建築を学びたいという有為の若人たちには自らのアトリエに快く出入りを許し、様々な仕事を預けることも多々あったようです。

その彼の建築愛とおおらかさにより、コルビュジエから直に薫陶を受ける類まれなる恩恵に預かった人物は日本人にも複数名いますが、今回はその中でも代表的な3人の建築家をご紹介します。

1.前川國男の経歴と代表作

1905年生まれの前川國男は東京帝国大学を卒業後、渡仏。1928年から1930年頃にかけてコルビュジエに師事し、3年ほどの短い期間の中でも旧ソ連のモスクワ市政府庁舎「ツェントロソユーズ」の製図を手伝ったり、大規模な国際建築会議(CIAM)にコルビュジエの代理で出席するなど、かなりの信頼を勝ち得ていたことがわかります。

帰国後1935年に自ら「前川建築事務所」を開所、第二次世界大戦の戦火で事務所を焼失するなどの憂き目に遭いながらも精力的に設計を続け、代表作「京都会館」や「東京文化会館」などを完成させます。東京文化会館はコルビュジエの国立西洋美術館の同じ敷地に対面するように鎮座しているためコルビュジエ建築と前川建築を対比しながら鑑賞することも可能です。

2.坂倉準三の経歴と現代表作

1901年生まれの坂倉準三は東京帝国大学卒であり前川國男の言わば先輩に当たる人物ですが、前川國男にすこし遅れて1929年に渡仏、1931年から1939年まで約8年間ほどコルビュジエのもとで建築を学びました。この時期はコルビュジエが建築という枠にとらわれず「アルジェの都市」「輝く都市」など都市計画に挑戦し始めた時期でもあります。

コルビュジエの門下で携わった1937年のパリ万国博覧会日本館を成功させ、帰国直後の1940年に坂倉建築事務所を開所、その後300を超える作品を世に送り出します。

前川國男と共同設計した「国際文化会館」(東京都港区)、小田急百貨店本店(東京都新宿区)とそれに近接する「新宿駅西口広場」、岡本太郎の私邸(港区。現「岡本太郎記念館」)、などを手がけました。

3.吉阪隆正の経歴と代表作

1917年生まれの吉阪隆正は早稲田大学理工学部建築学科を卒業後、しばらくは早稲田大学で教員として働きますが、1950年から1952年にかけて早稲田大学の職員という立場のままコルビュジエのアトリエに在籍。帰国後は建築事務所ではなく大学構内に設置した「吉阪研究室」をベースに建築設計活動を開始しました。

彼の代表作には「江津市庁舎」(島根県江津市)「大学セミナーハウス」(八王子)などがあり、山や自然を愛する吉阪隆正の人柄を象徴するようにいくつかのロッジやヒュッテも設計しています。

訪れるなら早いうちに

今回紹介した建築物は2018年時点で現存するものの中から選びましたが、上記三名の建築物の中には代表的であっても解体されているものが多く、また吉阪隆正の「江津市庁舎」のように近い将来解体される恐れのある建築物も多くあります。

もし自分の目で見てみたい建築物があるならば、早めに訪れてみることをおすすめします。