旧三井家下鴨別邸

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今回の建築探訪は、近代日本の財閥が残した歴史的建造物である旧三井家下鴨別邸です。

近年まで使われていた三井下鴨別邸は、競売にかけられ、取り壊しの危機に会いましたが、この建物の調査により近代日本に存在した財閥の様子などがわかる貴重建物だということがわかり、国の重要文化財に指定されています。現在は改修を経て公開されています。

近代日本の経済を牽引した三井財閥

伊勢松坂の出身であった三井高利は延宝元年、江戸と京都に越後屋呉服店を開きます。京都は仕入れの店として経営をし、江戸の地で京都から仕入れた反物を販売していました。明治になり、経済の基盤が東京へ移り、三井家も同じく一族が東京へと移転します。

しかし、この地で長年事業をし、菩提寺もある京都では、定期的に祖先の法要や祭礼がおこなわれてきたのでした。その式典の休憩所として使われてきたのが、この三井下鴨別邸になります。

呉服をあつかっていたことから、お蚕さんを祀った木嶋神社を三井家は代々信仰していました。その境内に顕名霊社を造営し、先祖代々を祀っていたのです。ところがその顕名霊社を遷座することになり、その移転先となったのがこの下鴨別邸の地になりました。

当時は明治の31年。この頃に下鴨別邸周辺の土地を2万㎡取得し、三井高利の祖父三井高安の300回忌に合わせて社殿を建築し、顕名霊社を移します。

その後戦後の財閥解体により、三井下鴨別邸は国有化されます。顕名霊社は三井総領家の油小路邸へと移転され、この下鴨別邸は京都家庭裁判所の所長舎として2007年まで使用されていました。

稀に見る近代日本財閥の歴史遺産

三井下鴨別邸は3棟の建築物によって構成されています。一つは主屋・もう一つは玄関棟、そして茶室の3棟の建物が敷地に建築されています。

主屋は鴨川下流にあった木屋町別邸から移築され、増築を経て大正14年に竣工をします。木屋町別邸は三井総領家の三井八郎衛門高福が鴨川下流の東に木造3階建てで建築をしたもので、その跡を継いだ三井高朗が明治27年まで住んでいました。

主屋は3階建ての望楼が特徴的な建物で、内部はとても簡素な意匠になっています。望楼からは東山や鴨川の眺望が楽しめるようになっており、この望楼が庭園からも建物の景観の美しさを楽しめるものとなっています。

主屋は木屋町別邸が建っていたそのままの姿で移築されている事が判明しており、玄関棟は移築の後に新築をされたもので、内部は書院造りとしていますが、天井が高く絨毯をひくことで椅子に座って洋式のスタイルで使われていました。

茶室は庭園に面して三畳次の間がついた四畳半の開放的な広間を配置しています。裏側には茶室として極めて小さい一畳台目の小間とされ、煎茶と抹茶の両方に対応できるようにされています。

建物の前には美しい庭が広がり、その南に泉川から水を取り入れた瓢箪型の池を配置しています。池には石橋が掛けられ、周囲には灯籠や庭石などが配置され、周囲の景色を楽しめるようになっています。

また、建物の中には、残っている作品が少ないとされている、原在正(はらざいせい)によって孔雀の絵が描かれた板戸があり、その繊細で美しい彩色で描かれた筆跡を見ることができます。とても優れた画家とされるも、惜しくも33歳の若さでこの世をさっており、残された作品は非常に少ないとされています。

概要:旧三井家下鴨別邸

竣工:大正11年に(1922)に社殿を造替、主屋は鴨川下流の「木屋町別邸」から移築され、増築を加え、大正14年(1925)に竣工
住所:京都府京都市左京区下鴨宮河町58-2
web:http://kyokanko.or.jp/mitsuike/index.html