近代の大阪が発展していた象徴ともいえる、歴史的建造物、大阪府立中之島図書館をご紹介します。
東洋のマンチェスターと言われた大大阪
明治維新を経て、廃藩置県が行われ、日本の政府も大きな転換点を迎えます。それまで江戸幕府に統治されていた大阪も大名が消えたことで大きな蔵屋敷が消え、大阪はとても寂しい状況へと転換していきます。
しかし、大阪に大きな貨幣工場ができたり、大砲の工場ができたりすることで、大阪に近代的な技術が集積することで再び大阪は発展していきます。繊維工業が盛んになると大阪は工業都市として再生します。
産業が発展していくことで、大阪には様々なインフラ施設が生まれていきます。大阪港もこの頃に護岸を整備し、人工の港を作り「築港」をすることで大型汽船の入ることができる港が整備されました。産業が発展していくにつれて、街中で人々を輸送する交通インフラの整備も進みます。
当初は人力車だったのは、巡航舟、乗合自動車(バス)、タクシー、そして地下鉄と様々な交通インフラが整備され大阪は瞬く間に変化しました。
20世紀に入り大阪は、今でいう市町村合併をし、あたらしく大阪市を作ります。それにより人口も面積も日本一となり、人口では世界6位の大都市★となり、現在とほぼ匹敵する人が大阪市に住んでいました。当時は商工業が盛んだったことから「東洋のマンチェスター」と称され、「大大阪」と呼ばれました。
市民が建てた中之島図書館
当時大阪には教育施設が足りておらず、住友家が江戸時代から事業をしてきた大阪の地に報いようという思いから、友純は欧米ではすでに行われていた企業による社会貢献の重要さを痛感し、その一環として図書館を建築することを提言します。
友純は当時のお金で15万円を図書館建築に、そして蔵書の購入に5万円を寄付すると大阪府議会に申し出ます。友純は、図書館建築のために、臨時建築部を設け、日本銀行や東京駅などを設計した辰野金吾の弟子である野口孫市を技師長として迎え、野口に西洋へと渡航をさせ、西洋建築を学ばせました。帰還した野口は技師として、日高胖を参加させ、共に中之島図書館の設計を進めていきます。
そして、中之島図書館は明治37年(1904年)、住友吉左衛門友純の寄付によって建築され、大阪図書館として開館しました。
時代を超えて受け継がれていく知の殿堂
中之島図書館の外観はキリシャ・ローマの神殿建築の様式を忠実に踏襲し、ネオ・クラシシズム(新古典主義)の潮流を表現したものになっています。
正面のポーティコ(玄関柱廊)は4本のコリント式の円柱で支えられており、それらは三角形のペディメント(三角破風)を支えています。円柱の柱頭はアカンサスの葉で飾られており、これらが集まり、より建物としての風格を醸しだしています。
もう一つのこの建物の見どころであるドームは、青銅の半球体になっており、ひときわこの建築物の優美さを際立てています。平面計画は十字を描いており、玄関から両側に伸びる壁面には端正な縦長の窓が並び均整の取れたデザインとなっています。
何よりも素晴らしいのが、このシンメトリーと言われる均整の取れたプロポーションです。このシンメトリーとすることで、より安定感がまし、建物としての風格が加えており、この建物が単なる西洋古典の踏襲にとどまらず、各様式が持つ歴史的背景や理念を正しく映し出し、西洋建築を急激に学んできた日本人の一つの到達点ともいえる象徴的な建築物であることを物語っています。
概要:大阪府立中之島図書館
設計:野口孫市、日高胖
竣工:1904年(明治37年)
住所:〒530-0005 大阪市北区中之島1-2-10
web:https://www.library.pref.osaka.jp/site/nakato/