2016年7月、20世紀最大の建築家ル・コルビュジエが設計した東京上野の「国立西洋美術館」が世界遺産に登録されたとの吉報に日本中が沸いていたのは今も記憶に新しいかもしれません。
ただ、この登録は国立西洋美術館が単体で登録されたものではなく、コルビュジエによる「サヴォア邸」や「ロンシャンの礼拝堂」など、17の建築作品群を一括して世界遺産とされたものに国立西洋美術館も含まれるというものでした。
ル・コルビュジエとはそもそも何者なのか
名前は聞いたことがあっても、コルビュジエの名が不動のものとなっている理由についてはあまり聞く機会がなかったかもしれません。
それは、ただ単に絶大な人気を誇るというだけではありません。彼の提唱した「近代建築の5原則」がその名の通り近代建築に極めて重要な影響を与えたことから、彼の名はいまだに語り告げられているのです。
この五原則とはすなわち、「ピロティ(一階部分に柱のみ残して壁を取り払い、吹き放ちとする構造)」「水平連続窓(水平横長の窓)」「自由な平面」「自由なファサード」「屋上庭園」を指しています。当時はまだ建築材料として一般的ではなかったコンクリートの可能性にいち早く注目し、コンクリートの柱やスラブを構造の中心とする事によって、建物を「壁」から開放したとも言えるでしょう。このアイデアはその後の建築全般に多大なる影響を及ぼしました。
これらの原則が彼の作品群に通底する「建築物は住むための機械」≒機能的なものは美しい、という建築哲学を体現しています。こう考えてみると彼から始まったモダニズムは建築物としてだけでなく、現在私たちの周りに様々な形で存在しているかもしれません。
なぜコルビュジエが国立西洋美術館を設計することに?
その建築界の巨人がなぜ 日本の美術館を設計することとなったのでしょうか?
事の発端は戦前の美術品蒐集家、松方幸次郎氏が所蔵していた多量の美術作品、通称「松方コレクション」を第二次大戦後にフランスが接収したことに始まります。
戦勝国であるフランスは、敗戦国としてだいぶ分が悪くなっていた日本から松方コレクションを全面的に接収したのですが、日本側の粘り強い交渉により松方コレクションのほとんどを日本に返還ではなく寄贈する形で事態は収まりつつありました。
しかし、その寄贈に関してフランス側が提示した条件が「それら美術品のための美術館を作ること」だったのです。このような形でまず「(仮称)フランス美術館設置準備委員会」というものが設置されました。あくまで目的は松方コレクションの返還だったのです。
その計画を実現するために日本が組織した委員会にコルビュジエの弟子だった人物、坂倉準三が在籍していたことが「日本に唯一のコルビュジエ建築」を実現させたのだろうと考える人もいますが、時の首相・吉田茂がフランスを相手取った交渉に際し、フランス人建築家コルビュジエを指名すれば松方コレクション返還の話がスムーズに進むだろうとの思惑があったとも言われています。
国立西洋美術館、訪れるならここに注目
国立西洋美術館もピロティによってコンクリートの箱が地面から浮き上がっているような形状で、建物に重厚さではなく軽やかさをもたらしています。このピロティが周囲の景観との調和にどう貢献しているか観察してみましょう。
また、コルビュジエは光に対するこだわりが強く美術館内の展示品も可能なかぎり自然光でと考え、天井には採光窓を大胆に配置しました。紫外線が美術品を劣化させてしまうため現在は窓を閉じて照明器具が設置されていますが、コルビュジエが採光をどう計画していたかも見所です。
「近代建築の5原則」の一つである屋上庭園も元々はあったのですが現在は撤去されています。